纐纈泰章の生い立ち ~二代目として家づくりにかける想い~

1.纐纈家の長男として誕生

昭和56年1月25日my001.jpg
名古屋市内で纐纈(こうけつ)家の長男として誕生。

両家の祖父母にとっての初孫で、
それはそれは喜んでもらったと聞いています。

当時、父である社長はまだサラリーマン。
材木会社の設計部門で、建築士として住宅設計を主に行っていました。

my002.jpg私が初めて暮らした家は
その会社の2階にあった社宅です。
(もちろんほとんど記憶はありませんが...)

my003.jpg下に降りると、材木置き場が広がっていて
そのころからすでに、木に囲まれて過ごしていたんだと思います。

そこでの暮らしは私が4歳になるころまで続きました。

弟の誕生を機に当時できたばかりの県営住宅に引っ越し。
ようやく同年代のお友達ができるのでした。

その頃の私のブームは

ミニカーとブロック!

何かを作ることが好きなインドア派でした(笑)

外で友達と遊んでいても、ちょっとしたことで泣いてしまうような
心の弱い子供だったと記憶しています。

そんな子供ですから、キャッチボールも満足にできないような、
運動神経の悪い子供で、いわゆる子供たちの間で人気が出るような
スポーツマンタイプではありませんでした。

my004.jpgその頃の父は毎日朝早くから、夜遅くまで仕事に出ていましたが、
休みの日にはしっかりと家族に時間を取ってくれ、
あちこちに連れて行ってもらっていました。


2.運命の出会い

外で遊ぶことも好きではありましたが、
相変わらず気持ちの弱いわが子を見かねて、
小学3年生の秋、父と弟と3人である場所に向かいました。

そこは、お隣尾張旭市の総合体育館。
その1階で行われていたのが

「空手」

でした。
武道をやり、気持ちの強さを身に着けてほしかったそうだとか。


my005.jpg「柔道」や「剣道」も検討されていたみたいですが、
最初に見学に行ったのが「空手」
そしてそのカッコよさに魅了されたのでしょう。

すぐに親子3人で道場に通い始めました。

私や弟も一生懸命練習に励んだのですが、
一番熱心になってしまったのが...

なんと父!!

この時から、私たち家族の生活は一変しました(汗)

この空手道場の練習は毎週日曜日の夕方から。

そうです。
お休みの日には家族で出かけてくれていた父はそこにはいなくなりました(笑)

どこかに出かけたとしても、5時前には戻ってこなければいけない。

日曜の夕方にやっている国民的アニメも練習時間と被っていて
見ることができない...

このころの私にとって「空手」は楽しみを奪っていく側面のほうが
大きかったかもしれません。

しかし、武道というモノは不思議なもので、
運動神経の悪い私でも、

コツコツと積み重ねることで少しずつ上達し、
帯の色が変わっていくことが嬉しく、

「黒帯」

が自分にとっても目標になっていくのです。

my016.jpgそんな空手との出会いから、気が付けばあっという間に30年が過ぎ、

今では四段をいただくまでになりました。

あの日、父に連れられて何気なく言った尾張旭市の体育館に
運命の出会いがあったと言わざるを得ません。

3.将来の夢

私の通っていた小学校は1学年2クラス、
合計80人程度のいわゆる

「田舎の学校」でした。


今では生徒数900名を超える学校が2校も増え、
守山区内でも人口の増加が多い地区になりました。

当時は本当に自然に囲まれたのびのびとした雰囲気の学校でした。

my006.jpgそんな小学校の特徴として、卒業式で将来の夢を全員の前で一人ずつ発表する。
というモノがありました。

私の小学校時代はやはり野球選手が人気でしたが...

私は、

「父のような設計士になり夢のある家を建てること」

と発表しました。

具体的にどの建物に感銘を受けたとかの記憶はありませんが、
父の設計した図面を見せてもらったり、
自分の考えたものが実際に形になり、町に残るという仕事に夢を感じ
自然に自分の将来の夢になっていきました。


4.独立 コウケツ建築設計のスタート

自分の夢を発表した小学校の卒業式から2年と少し。

私が中学3年生の1995年9月に父はそれまで勤めてきた会社を辞め、
独立し、

「設計事務所の活動」

をスタートさせました。

どっぷりとのめり込んだ空手の時間をもっととるため...
ではありませんが(苦笑)

それまでとはまた違った生活がスタートしたのです。

my012.jpg幸い、スタート当初から素晴らしいご縁をいただき、
街中でのおしゃれな店舗など、いくつかの建物が生まれました。

その当時から、今も続く弊社の家づくりの形、

~設計者が直接施工まで携わる~

というスタイルが生み出されました。

その頃の私は、地元の公立高校に進学し、ソフトテニス部に所属。
毎日部活に打ち込む毎日を送っていました。

実は、小学校、中学校と部活に所属をしたものの、
なかなか続けることができず、

途中で投げ出してばかりいました。


my014.jpg高校での部活も、一緒に始めた同じ中学校の友人は1年生の終わりに退部。
最初にいた10人を超える同級生もどんどん減っていき、
気が付いたら残りは自分も含めて3人に...

しかし、残った仲間と何とか踏ん張り、3年間やり遂げることができました。
未経験から始めたこの部活をやり通せたことは、

「頑張ってやれないことはない。」

と、今でも私の人生に欠かせない大きな出来事になっています。


そんな部活に明け暮れていた高校時代も時が過ぎ、
進路を考えなければいけない時期になりました。

当時の私の苦手科目は...

「数学」!

定期テストでは赤点連発の最低の成績を取っており、
建築系の学部に進むことなど到底できない状況で、
いつしか建築家の夢は遠いところに行ってしまいました。

やりたいことも特にない、
でも周りの友人は進学をする、

だからとりあえず進学したい。

という、完全なる消去法で大学進学をすることになりましたが、
ここから私の物語はさらに転がっていきます(汗)


5.親に感謝の大学時代

どうしてもここに行きたい!というような夢や希望をもって受験をせず、
どこでもいいから大学生になりたかった私を
かろうじて合格させてくれたのは地元の私大。

そこの商学部、夜間主コースに進学しました。

この夜間主コースは、他のコースに比べお昼の授業を履修できる数に限りがあり、
主として午後6時以降の授業を受けるコースでした。

my013.pngそのため、入学直後から某ファーストフード店でバイトをしていましたが、
平日の昼に働ける若い男子は貴重で、お店にも歓迎され
月曜から金曜のお昼は毎日毎日バイトに入る生活をしていました。

そこで出会った仲間と始めたのが

「スケートボード」

バイト先の近くの公園にスペースを見つけ、毎日練習をしていました。

my007.JPG東京オリンピックでも話題になったこのスケボーは、
住んでいる場所や、学生、社会人という立場などを越えて繋がっていける
という魅力を持っていて、あっという間にのめり込んでいきました。

バイト、スケボー、そして飲み会...

楽しい事、好きなことばかりやっていると、
当然のように学校に行く時間はどんどん少なくなっていき、
あっさりと

留年してしまうのでした...

そんな私を見かねた父は、半ば強制的に(笑)

建築CADを学ぶ講座に通わせます。

当時建築への興味を失っていた私は、渋々ではありましたが
自分勝手に過ごし留年してしまった手前、講座を受けることになります。

ところがこれが大ヒット!

やったことは単純に手書きの図面をCADで書き写すだけのことでしたが、
建築図面に触れることが楽しく、やることすべてが新鮮で、
とてつもない衝撃を受けました。

この時にCADトレース技師初級という資格を取ったのですが、
あまりにも楽しくて、その後追加で講座を受講し「中級」資格まで取得したのでした。

ここで再び建築に触れる機会を作ってくれた父には本当に感謝しています。


6.転機 建築家への第一歩

my017.JPG建築に触れる機会を得て、子供のころの夢を思い出した私は、
ますます学校に行かなくなりました(大汗)

なぜなら、商学部に自分のやりたいことは何もなかったからです。

兄妹たちも平日ほとんど帰ってこない兄を見てどう思っていたことやら・・・

本当に当時の私は親不孝なことをしていたと思いますが、
1年留年し、5年間通わせてもらった挙句の果てに・・・

大学は中退することになりました。


同時に私は、未経験でも雇ってくれる建築会社を探しあて、
地元の鉄骨造をメインとしている工務店に設計として入社しました。

ただCADを触ることができるだけで、
建築のことはまだ何もわからない素人。

そんな私でしたが、ついに小学生からの

夢=「建築家」

への第一歩を踏み出すことになりました。

23歳のことでした。


7.苦難の連続

設計として入社した私でしたが、当然ながら知識がないため

やることと言えば、手書きで設計された図面をCADで電子データ化すること、
そして先輩について申請業務に回ること、位しかできませんでした。

それでも、少しずつ仕事を覚え、成長していけると思っていました。

しかし、ある日設計部の直属の先輩が突然の退社!
まだ入社2か月目のころの話です。

これにより、急に一人で申請業務を行うことになってしまったのです!
自分で設計した図面ではないので、その意図が分からない。
そもそも用語が良く分からない...

この時には、一つの建物の申請のためにほぼ一日役所にいて、本当に小さなこと一つ一つ役所の担当者に教えていただき、
図面で分からないことは、事務所に残っていた設計者に電話しつつ、
何とか一件、また一件と業務をこなすことができました。

おかげ様でその頃は、市役所内に顔見知りがたくさんいました(笑)

そんな状況から少しずつ仕事を覚え、
何とか進むことができるようになっておよそ1年、

またしても直属の先輩が突然退社します(笑)

前日の帰り際に、「私、明日から来ないから」
と言い残して帰られた先輩。

まさか本当に来なくなるとは思いもしませんでした(笑)

このころには、私も少し成長し、営業さんから希望を聞きラフプランをつくったり、
お客様との打合せに同席させてもらうようになっていたため、
なんとなく気づき始めていました。

この会社は残念ながら自社第一主義で、お客様のことはあまり考えていない・・・と。

いかに利益を取るか、いかに自分たちの思い通りに進めるか。

とにかく社長の意見が絶対で、
お客様と良い関係を築けていない物件も多々ありました。

そんな社内環境だったから、他の会社で経験を積んでこられた先輩方は
耐えられなかったのだと思っています。

父の仕事ぶりを見てきた私も、
この環境で続けていくことに苦痛を感じるようになり、
結局2年弱で私も退社することとなりました。


8.本当のスタート

前社を退社した私は、父の仕事に協力することになりました。
およそ2年、建築、設計に関わってきましたが、

私が経験してきた鉄骨造と、父が主としてやっている木造在来工法では
言語が違うといってもいい位、全く別物でありました。

仕事を始めたばかりのころと同じ、用語がわからない状態の再来です(笑)

しかも今回は、前社のように営業がいて、設計がいて、現場監督がいる状況とは違い、
全てを自分たちで行わなければいけないことから、
より多くの学びがありました。

本当に覚えることが多く、大変な日々ではありましたが・・・

実際にお客様と顔を合わせ、一つずつ一緒につくり上げていく。

my015.JPGそのプロセスが見え、お客様から感謝のお言葉をいただける。
お子様は、打合せでお邪魔するたびにお手紙を書いて待っていてくれたり、
本当に胸が暖かくなる経験を初めてしました。


あぁ、これが本当に自分のやりたかったことだな...
心からそう思いました。

この時が本当の私の建築家としてのスタートとなりました。


9.自身の経験から

my008.JPGコウケツ建築設計に入社し5年がたったころ、
家賃のもったいなさからも自宅を建築することにしました。

まずは土地探し。

事務所にも近く、今住んでいる地域からはあまり離れない地域で探し始めました。
が...

これがなかなか見つからないのですね(笑)

これまでご縁をいただいていたお客様皆様、
よくあんな素晴らしい土地を見つけられたな...

と思うほどに、なかなかいい土地って見つからないのです。

やっといいな!と思う場所、広さの物が見つかっても、
その値段の土地を買ってしまっても大丈夫なのか良く分からない...

そもそも住宅ローンはどこで借りよう...

などなど、見事なまでに行き当たりばったりな進め方で
綱渡りのような家づくりを行っておりました(笑)

私は今もその家で家族楽しく暮らしていますが、

実は日本では平均25人に1人以上の割合で、
住宅ローン返済に何らかの問題を抱えています。

私がそうなっていないのは、運が良かっただけだと思っています。


この自分自身の経験から、家づくりをお考えの皆様には
家のことだけを知っていて、家のことだけをお伝えするのではなく、

もっと前の段階。

「資金のご計画」

からサポートしていかなければ、
そのご家族の幸せな暮らしは作れない!
と考えるようになりました。


10.情報の大切さ

家づくりをお考えの皆様には、家そのもののこと以外にも
沢山のことを知っておいていただきたいのです。

沢山の情報の中から、ご自身とご家族のライフスタイルに合った情報に基づき、
よりご家族が幸せに暮らせる家づくりを行っていただきたいのです。

なぜなら、

my010.jpg家づくりはご家族のライフスタイルをカタチにすること
と私は考えているからです。

他の誰の為でもない、ご自身とご家族が幸せに暮らすために家をつくるのです。

99組のご家族が使いにくい間取りであっても、

たった1組。

あなたとそのご家族にとって最適な間取りであれば、
最高な家づくりができたと言えるのではないでしょうか?

そのためにも、私は定期的に「家づくりセミナー」を開催しています。

住宅を取り巻く環境や、資金計画の大切さ、家の性能についてまで
様々な情報をお伝えさせていただいております。

その願いはただ一つ。

家づくりを通してお客様ご家族がより幸せになっていただきたい。

それこそが、

私がたどり着いた

自分が家づくりに携わっている理由であり、信念です。


11.地域になくてはならない企業へ

企業理念
~Life Style Design ライフスタイルをカタチに~

私たちは家というモノを通して、豊かな人生を創造します。

それにより、自社、関係業者、そのご家族のライフスタイルも豊かなものにしていきます。

お客様、私たち、協力業者が良い関係をつくり、
楽しく、共に成長していける環境をつくります

私たちはこの地域になくてはならない
幸せをつくる会社を目指しています!

私たちがそのような会社として地域に存在することで、
この名古屋守山区エリアで、家づくりで後悔するご家族を減らせると信じ、
この道を生涯全うしていきます!

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有限会社コウケツ建築設計 取締役 纐纈泰章

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