STORY
なぜ、
この家づくりになったのか。
纐纈泰章の生い立ちと、
二代目として家づくりにかける想い。
このページは、代表・纐纈泰章の生い立ちを通して、
コウケツ建築設計がなぜ今の家づくりを大切にしているのかをまとめたものです。
01
木のそばで育った
昭和56年1月25日。
名古屋市内で纐纈家の長男として生まれました。
両家の祖父母にとって初孫だったこともあり、
それはそれは喜んでもらったと聞いています。
当時、父はまだサラリーマンでした。
材木会社の設計部門で建築士として働き、住宅設計を中心に行っていました。
私が最初に暮らした家は、
その会社の2階にあった社宅です。
もちろん当時の記憶はほとんどありません。
それでも、下に降りれば材木置き場が広がり、
気づけば木に囲まれた環境の中で育っていました。
弟の誕生をきっかけに県営住宅へ引っ越し、
同年代の友達と遊ぶようになりました。
当時好きだったのはミニカーとブロック。
何かをつくることが好きな、
どちらかと言えばインドアな子どもでした。
一方で、とても気が弱く、
友達と遊んでいてもちょっとしたことで泣いてしまうような性格でした。
運動神経も決して良い方ではなく、
キャッチボールさえ満足にできないような子どもだったと記憶しています。
そんな私でしたが、
休日になると父はよく家族を連れて出かけてくれました。
忙しい中でも、
家族との時間を大切にしてくれていたことを今でも覚えています。
02
人生を変えた
空手との出会い
小学3年生の秋。
父と弟と3人で向かったのは、
隣町の総合体育館でした。
そこで出会ったのが「空手」です。
気の弱い私を見かねて、
武道を通じて心の強さを身につけてほしい。
そんな父の想いがあったそうです。
柔道や剣道も候補にあったそうですが、
最初に見学した空手の格好良さに惹かれ、
そのまま親子3人で道場へ通うことになりました。
ところが一番熱心になったのは、
私でも弟でもなく父でした。
毎週日曜日の夕方。
家族で出かけていた父は道場へ。
どこかへ遊びに行っても、練習時間までには帰らなければいけません。
当時楽しみにしていた日曜夕方のアニメも見ることができなくなりました。
子どもだった私にとって、
空手は楽しみを奪う存在だったかもしれません。
それでも続けていくうちに、
少しずつ上達していきました。
帯の色が変わることが嬉しく、
いつしか黒帯が目標になっていました。
運動神経が良くなくても、
才能がなくても、
コツコツ続ければ前に進める。
空手から学んだこの経験は、
今の私の土台になっています。
気づけば30年以上。
現在は五段をいただくまでになりました。
あの日、父に連れられて行った体育館での出会いは、
私の人生を大きく変える出来事だったと思います。
03
父の背中を
見て育った
私が通っていた小学校は、
1学年2クラスほどの小さな学校でした。
自然に囲まれた、
のびのびとした環境でした。
その小学校では、
卒業式で一人ずつ将来の夢を発表する習慣がありました。
野球選手を夢見る子が多い中で、
私が発表した夢は、
父のような設計士になり、
夢のある家を建てること
父が描いた図面を見せてもらったり、
自分の考えたものが形になって町に残ることに魅力を感じていたのだと思います。
それから2年後。
私が中学3年生だった1995年。
父は長年勤めた会社を退職し、
独立を決意します。
こうしてコウケツ建築設計の前身となる設計事務所がスタートしました。
幸いにも多くのご縁に恵まれ、
店舗設計などを中心に仕事が生まれていきました。
そしてこの頃から、
設計者が施工まで携わる
という、現在にも続く家づくりの原型がつくられていったのです。
当時の私は高校へ進学し、
ソフトテニス部に所属していました。
小学校、中学校では部活動を途中で辞めてしまった経験もありました。
しかし高校では、
仲間とともに最後まで続けることができました。
未経験から始めた部活を3年間やり切れたことは、
頑張ればできないことはない
という自信につながっています。
04
遠回りした
大学時代
高校時代も終わりに近づき、
進路を考える時期になりました。
しかし当時の私は、
建築学部を目指せるような状況ではありませんでした。
特に苦手だったのが数学です。
定期テストでは赤点を取ることも多く、
いつしか子どもの頃に抱いていた建築家への夢は遠いものになっていました。
やりたいことも特にない。
でも周りの友人たちは進学する。
だから自分も進学する。
今振り返ると、
そんな理由で大学へ進んだように思います。
進学したのは地元の私立大学の商学部でした。
夜間主コースだったこともあり、
昼間はアルバイトをして過ごしていました。
平日の昼間に働ける学生は少なく、
気づけば月曜日から金曜日まで毎日のようにアルバイトに入る生活になっていました。
そこで出会った仲間と始めたのがスケートボードです。
近くの公園で毎日のように練習し、
学生や社会人という立場を越えてつながれる世界に夢中になっていきました。
アルバイト。
スケートボード。
仲間との時間。
好きなことばかりに夢中になっていた結果、
当然のように大学へ足を運ぶ時間は減っていきます。
そして私は留年しました。
今思えば、
本当に親不孝な学生だったと思います。
そんな私を見かねた父は、
半ば強制的に建築CADを学ぶ講座へ通わせました。
当時の私は建築への興味をほとんど失っていました。
それでも渋々通い始めた講座で、
思いがけない再会をすることになります。
建築図面です。
手描きの図面をCADへ入力する。
やっていることは単純な作業でした。
しかし、図面に触れることが楽しく、
子どもの頃に抱いていた夢を思い出すには十分でした。
CADトレース技師の資格を取得し、
さらに上位資格にも挑戦しました。
もしあの時、
父が建築CADを勧めてくれなかったら。
今の私は全く違う人生を歩んでいたかもしれません。
05
建築家への
第一歩
建築への興味を取り戻した私は、
ついに大学を中退します。
そして未経験でも雇ってくれる建築会社を探し、
地元で鉄骨造を中心に手掛ける工務店へ設計担当として入社しました。
23歳のことでした。
子どもの頃から抱いていた夢への第一歩でした。
しかし現実は想像していた以上に厳しいものでした。
設計として入社したものの、
建築についての知識はほとんどありません。
最初に任されたのは、
手描き図面をCAD化する作業や申請業務の補助でした。
それでも少しずつ覚えていけばいい。
そう思っていた矢先、
直属の先輩が突然退職してしまいます。
入社してわずか2か月ほどの頃でした。
そこからは、ほぼ一人で申請業務を行う毎日です。
専門用語も分からない。
図面の意図も分からない。
役所の担当者の方々に教えていただきながら、
一つずつ覚えていきました。
おかげで当時は市役所の中に顔見知りがたくさんいました。
そんな状況の中でも経験を積み、
少しずつ仕事ができるようになっていきました。
ところが今度は、
また別の直属の先輩が突然退職します。
前日の帰り際に、
私、明日から来ないから
と言い残して帰られたことは、
今でもよく覚えています。
その頃になると、
私は少しずつ会社の考え方にも違和感を抱くようになっていました。
お客様のためというよりも、
会社の利益や都合が優先される場面を目にすることが増えていたからです。
もちろん会社には会社の事情があります。
しかし、父の仕事ぶりを見て育った私にとって、
その考え方を受け入れることは難しいものでした。
結果として、
私は2年弱でその会社を退職することになります。
遠回りばかりのようにも見えますが、
この経験があったからこそ、
誰のための家づくりなのか
を考えるようになったのだと思います。
06
本当に
やりたかったこと
前職を退職した私は、
父の仕事を手伝うことになりました。
ところが、
ここでもまた一からのスタートでした。
それまで経験してきた鉄骨造と、
父が手掛けていた木造住宅は全くの別物だったからです。
使う言葉も違う。
考え方も違う。
再び建築業界へ入った頃と同じような状態になりました。
それでも前職との大きな違いがありました。
それは、お客様の顔が見えることです。
実際にお客様とお会いし、
一緒に悩み、
一緒に考え、
一緒に家づくりを進めていく。
完成した時だけではありません。
打合せのたびにお子様がお手紙を書いて待っていてくれたり、
完成後もご家族とのつながりが続いたり。
そんな経験を重ねる中で、
あぁ、これが本当にやりたかったことなんだ
と心から思いました。
図面を描くことだけではありません。
家を建てることだけでもありません。
ご家族の暮らしづくりに関わること。
それが私にとっての家づくりになりました。
この時が、
本当の意味での建築家としてのスタートだったと思っています。
07
自分で家を建てて
気づいたこと
コウケツ建築設計に入社して5年ほどが過ぎた頃。
家賃のこともあり、
自分自身の家を建てることになりました。
これまで多くのお客様の家づくりに関わってきましたが、
実際に自分が施主になると見える景色は全く違いました。
まずは土地探しです。
事務所から近く、
今住んでいる地域からも大きく離れない場所で探し始めました。
しかし、これがなかなか見つかりません。
良いなと思う土地が見つかっても、
その価格で本当に大丈夫なのか分からない。
住宅ローンはどこで借りればいいのか。
どれくらい借りてもいいのか。
本当に返していけるのか。
今思えば、
とても行き当たりばったりな家づくりだったと思います。
幸いにも私は今もその家で家族と楽しく暮らしています。
しかし、それは運が良かっただけかもしれません。
実際、日本では多くの方が住宅ローン返済に不安や問題を抱えています。
この経験を通して強く感じたことがあります。
それは、
家づくりは家の話だけでは足りない
ということです。
間取りやデザインだけではなく、
土地。
お金。
住宅ローン。
将来の暮らし。
そこまで含めて考えなければ、
本当に良い家づくりにはならない。
自分自身がお客様の立場になったことで、
そのことを強く実感しました。
08
だから今の
家づくりがある
私が家づくりをお考えの皆様へお伝えしたいことは、
家そのもののことだけではありません。
資金計画。
土地探し。
住宅性能。
そして、これからどんな暮らしをしていきたいのか。
家づくりには、
知っておいた方が良いことがたくさんあります。
なぜなら、
家づくりは家を建てることではなく、
ご家族のライフスタイルを形にすること
だと考えているからです。
他の誰かのためではありません。
ご自身とご家族が、
これから幸せに暮らしていくための家です。
だから私は、
正解を押し付けたいとは思っていません。
人気の間取りが、
必ずしもそのご家族に合うとは限りません。
99組のご家族にとって使いにくい間取りだったとしても、
たった1組。
そのご家族にとって最適な住まいであれば、
それは素晴らしい家づくりだと思うのです。
そのためにも、
私は定期的に家づくりセミナーを開催しています。
住宅ローンのこと。
資金計画のこと。
性能のこと。
土地探しのこと。
家づくりを始める前に知っていただきたいことを、
できるだけ分かりやすくお伝えしています。
その理由は一つです。
家づくりを通して、
お客様ご家族がより幸せになっていただきたい
その想いが、
今の私の家づくりの原点になっています。
09
地域になくてはならない
存在へ
コウケツ建築設計には、
創業当初から変わらない考えがあります。
Life Style Design
ライフスタイルを形にすること。
私たちは、
家というモノを通して豊かな人生を創造したいと考えています。
そしてそれは、
お客様だけではありません。
私たち自身。
協力業者の皆様。
そのご家族。
関わる全ての人たちの暮らしも、
豊かなものにしていきたいと思っています。
家づくりは一人ではできません。
お客様。
設計者。
職人。
協力業者。
多くの人が関わりながら、
一つの住まいが生まれます。
だからこそ、良い関係を築きながら、
共に成長していける環境を大切にしたい。
それが私たちの願いです。
家づくりは人生の大きな出来事です。
だからこそ、
後悔のない判断をしていただきたい。
そして家づくりを通して、
ご家族の暮らしがより豊かなものになってほしい。
私たちは、
この地域で家づくりの後悔を減らす存在でありたいと思っています。
それが、
私が家づくりに携わる理由であり、
コウケツ建築設計が目指している未来です。